たくさんの恵みをもたらしてくれる森。けれどもこの60年ほどでいくつもの課題が表に出てくるようになりました。それぞれの課題は互いにつながっています。そんな森の現状と解決策を探ってみます。鍵は「森との関わりの復活」にあるようです。
市内の82%が森に占められている伊那市。これほどの面積ならば、「豊かな」という一言をつけたくなります。遠くから眺める分には、伊那市の美しい風景をつくる山々は緑におおわれ「豊か」に見えます。「ああ、いい景色!」と深呼吸の一つもしたくなります。しかし、ほんとうの意味で「豊かな」と言える森は、ここ伊那市でも残念ながら多くはありません。
離れたところからは豊かな緑に見える今の森は、すぐそばまで近づくか、あるいは中に足を踏み入れてみると、次のような様子になっていることに気づくことでしょう。
光が入らず暗い。雑然としてボサボサグチャグチャ。地面に植物があまり生えていない。鳥の声や、生き物の気配がない。木々に枯れた枝がたくさんついている。とにかく混んでいる‥‥。
これらは、森のSOSサインです。たくさんの生き物がつながり互いに関係しあい小宇宙となっている森の生態系に、異変が起きているメッセージ、です。「おや?」とそのメッセージに気づくことが、森を知る第一歩です。
多くの森に広がるこれらの状態は少しずつ違いがありますが、共通しているのは「この森の中に入って大丈夫?」とためらう気持ちがわくこと。森に拒まれているような、あるいは森が閉じているような、親しみが持ちにくい雰囲気をただよわせています。
状態は少しずつ違っても、そうなっている原因は一つの言葉に集約されます。「放置」です。人が関わってきた森で、その関わりがなくなったとき、つまり、人が森との関わりをやめたときから、森はこのような状態になっていきます*2。
SOSは、ヘルプ! の合図です。そして森が出しているヘルプには次のような2つの背景がありました。
1つ目は、「経済性が失われたこと」です。これは、おもに人工林で起きています。
建築用にと植えられた人工林は、一種類の木がそろって植えられ育てられるので、木の畑とも言われます。植えられた当時(拡大造林と呼ばれる広葉樹を伐って広い面積の植林が始まるのは1960年前後ぐらいからです)は、将来、農山村でたしかな収入になると期待されていました。しかし、ちょうど植え始めた1960年ごろから社会はおどろくほど素早く変わっていきました。その結果、植えた当初の期待は大きくはずれて、「収入源」から「お荷物」扱いになっていきます。
一言で言えば、育てて収穫するまでにかかるコストが、物価が上がると共にどんどんふくらんでいったのです。一方、木材の値段は逆に下がっていきます。また、育てている間に、海外からの輸入木材が一気に増加。結果、宝の山となる期待は、深い落胆感と裏切られた感へと変わっていきます。
赤字になることがわかりながら、人工林に必要な手入れを続けられる人は多くはありませんでした。
2つ目の背景は、「生活必要性が失われたこと」です。これは里山と呼ばれる森でおもに起きました。里山は人々の暮らしに近い場所にありました。それは、里山があたかも現代の総合スーパーのような存在だったからです。日々の燃料を筆頭に、田畑の肥料、牛や馬など家畜のエサや厩舎・牛舎の敷物、農具はもちろん、生活に必要なさまざまな道具の材料も里山から調達です。山菜や川魚、きのこや蜂などの食料は、今よりももっと頻繁に採られて食卓にのぼりました。里山は日々、暮らしと深くつながった利用がされていた森なのです。
そして、こちらは建築用の木材の調達が目的である人工林とは異なり、そもそもの必要性が失われていきました。拡大造林とちょうど同じころに始まった「燃料革命」で、薪や炭を燃料としていた時代から石油やガス、電気の時代に変わっていきます。
同時に、それまで木に頼っていた道具の資材や原料にもプラスティックやスチールなどなど多くの新素材が出まわりだします。肥料や飼料も人工的に作られて、濃度の高い加工品が使われるようになります。それまで「里山から採ってきて加工して使う」という時間と手間が必要だった暮らしから、「買ってきてすぐ使える」へと変わるのに時間はかかりませんでした。
こうして、近くの森からさまざまなものを採りに入っていた人の流れと、手が止まってしまうようになります。
人工林、里山、どちらのタイプの森であっても、私たち人が関わりを失い始めてから60年近い年月が経とうとしています。この間に生まれた人の方が多くなる中、そもそも森との接点がない、それゆえに関心の持ちようもない、という状況が広がっていました。これほど近くに森があっても、伊那市のようにその面積が82%もあっても、「ないに等しく」なってしまったのです。
放置と無関心は、森が遠のく時代の両輪となっていきます。知らないから放置し、放置するから入りづらい森が増え、さらに入りづらくなって見向きもしない、と森離れがどんどん加速していきます。
もともとは、社会の変化で始まったわたしたちと森との関係の喪失。現在はそれから「そもそも森との関係がない」という人が多数となる時代へとうつっていくのです。
その昔、「山持ち(森林所有者)」と聞けば、「財産家」と見られていました。今はそうではない、と言うのではありませんが、4や5にあるように森の経済的価値と必要性という価値が下がってしまい、以前のように「山(森)=財産」と言いづらくなっています。そして、個人で森を持っている場合、小さい面積のことが多く、ほとんどの森林所有者は林業を営んでいません。
木の経済的な価値がどんどん下がってしまった中で、生計の柱として林業をしていない所有者にとっては、一般の人と同様に森との関わりを失っていきました。さらに、子どもや孫と代替わりするにつれ、所有している森の場所がわからない、お隣との境界がわからない、という事態が広がっているのです。森を相続していることを知らずに違う街に暮らしている、ということも少なくありません。
森を所有しているのがだれなのかわからない、所有者はかろうじてわかっても隣との境界や場所そのものがわからない、という状態は、森の手入れをしようというときの大きな障害となっています。しかし、「山を持っている」ことの価値が新たに見いだせれば、状況は変わっていきます。
必要な手入れがされていない森は斜面の土をしっかりつかみ、崩壊を防いでくれる力を失います。心配なのは、この数年の間の気象の変化の激しさです。雨にしても、雪にしても、降ると突然激しく短時間に大変な量が一気に、というようなことが起こり出しています。以前よりもさらに土砂災害の危険が高まってしまっていると言われています。
また、人が森から遠ざかるのとは反対に、森の奥にいた動物たちが人の暮らし近くにまで降りてくるようになりました。動物たちは、昔とは違って人が森にあまり近づかなくなっていることを察知するのでしょうか?
伊那市では、シカやイノシシ、クマ、サルなどの動物たちが里に下りて田畑に被害をもたらしたり、人工林の木々の皮を剥いたりなど農業にも林業にも実害が増えています。獣害は伊那市だけでなく日本中で悩みの種となっていますが、クマの出没はクマ生息地特有の悩みです。伊那市ではクマ警報が出ることはもう珍しいことではなくなっています。
さらに、昔は伊那マツと呼ばれて伊那の特産品的な存在だったアカマツですが、この10年ほどの間に激しいマツ枯れが進行しています。アカマツとだけ共生するきのこの王者、マツタケにも、もちろんこの影響はおよんでいます。長野県は日本一のマツタケ産地ですが、県内の中でも伊那市はトップクラスの産地であるので、マツ枯れはゆゆしき事態です。
しかし、森が82%もあること、そこには手入れ不足とはいえ60年近く木々が育っていること(人工林でも里山でも)、は世界の深刻な森林減少を考えれば贅沢な悩みと言われてもおかしくありません。
世界のほとんどの地域では破壊や減少により、森そのものが失なわれています。一方、日本の私たちはそうではありません。失われているのは「関係」です。森の減少に苦しむ世界の地域が多い中で、日本のように植物がらくらくと育ちやすい国がその状況を生かさずにおくことは、これからの時代は倫理的にも許されない事態となっています。
それが、SDGsとして掲げられた2015年のパリ協定での持続可能な社会の姿です。脱化石燃料が目指され、再生可能エネルギーが核となっています。きれいな水や地域でまかなわれる食料など、自然の恵みを多様に得られる地域が増えることは、世界中で強く求められています。地球の健康(生態系の健康)からも、森が持つ多くの公益的な機能を発揮することと、再生可能な資源である木材生産を今よりももっと重視することが目標です。
そんな時代のうねりの中で、森を「お荷物」扱いしてはなるまい! この面積と量を「質の良さ」に転換できれば、森が地域に豊かさをもたらす源泉となりうる!と『伊那市50年の森林ビジョン』(以下ビジョン)が作成されたのが2016年のことです。
では、60年近い間に深まってしまった森と人との関係の乖離と無関心。そして広がった「放置」という課題は、どうしたら克服できるのでしょう?
50年後(ビジョン策定時から)の伊那市では、森と人との日常的な関わりがあたり前となっている社会—これをビジョンでは「ソーシャルフォレストリー都市」として宣言をしています−という目標が掲げられました。
私たちミドリナ委員会は、このビジョンを市民の側から、つまり、日々の暮らしを営む一人ひとりの目線でのアイデアを出し、かつ、現実のものとしていくことを目指しています。
森の課題は互いに重なり、大きくふくれあがって見えるので、「大変だ‥」と臆してしまいがちです。しかし、要はわたしたちがもっと森と親しくなる、そこがスタートとなります。
モノを選ぶとき、家や家具などという大きなものからスプーンやキーホルダーなどという小さなものまで、地域の森に関わるものに目を向けて選ぶ。エネルギーを森由来のものにできるか考えてみる、やってみる。ランチをもって近くの森に出かける、拾ったたきぎでBBQの休日。‥森が近くに広がる伊那市には、気がるに親しくなるきっかけがたくさんあります。
そして、このきっかけを応援してくれる活動、グループも実は多彩にあるのです。薪や木材などを提供することや、森の手入れを学ぶ機会、あるいは森をゆっくり楽しむこと、などなど。彼らの活動の根っこは共通しています。「どうしたら森との関わりを取り戻せるか?」です。森と人との関わりの復活に、それぞれの活動が独自の取り組みをしています。
ミドリナは、これらの活動がもっと多くの市民に知られること、そして活動同士がつながりあうことで、森との関わりの復活が加速して広がっていくと考えています。ソーシャルフォレストリー都市に向かう鍵は、そこにあります。
*1国が多面的機能として示しているものには8つのグループがあり、各グループにさらに具体的な機能が数種示されています。例①生物多様性保全機能(遺伝子保全、生物種保全、生態系保全)
*2森の中には、もともと人が日常的な利用をしていなかった天然林があります。これらは、長い年月、森のリズムと生態系、ときに起きる自然災害などの影響を受けながらゆっくりと変化します。人工林も里山も、何100年という単位をかければ、人が何もしない「放置」から天然性の森へとゆっくり植生が変わり、しだいに生き物の豊かな世界へと移っていくと考えられています。ただ、それがどのぐらいの時間を要するのか?は正確にはわかっていません。