かつて暮らしと森とは深い関わりがありました。それを再びつなごうとチャレンジしている人がいます。どんなチャレンジがあり、そこにはどんな背景があるのでしょう。
森と人の関わりと言えば、昔はなんといっても「使う」ことでした。住居は木材はじめとして土に、竹にワラにいぐさ‥、身近な地域の材料が使われて自然素材のオンパレードでした。家具や建具、農具はじめ他の仕事の道具も木が多く使われていましたし、煮炊きや暖をとったり風呂の燃料は薪や炭です。春の山菜や秋のきのこ、川魚に蜂などは今でも四季折々の楽しみの食材ですが、昔は「楽しみ」だけでなく、もっと頻繁に日常的に食卓にのぼりました。車がまだ希少だった時代、街の中心部以外では日々買いものに出かけるということはむずかしかったからです。そのため、森で採れる食材も、塩漬けや乾燥などの手を加えて長期保存して使えるようにし、シーズン以外でも食卓にのぼるようにされていました。
さて、今、わたしたちの身の回りを眺めてみるとどうでしょう? 実に多くの素材が暮らしを彩っています。その中で、本物の木、ましてや地域の木でできているもの、森由来のモノは多くはないのではないでしょうか。森から採ってくる食材や、薪に炭という燃料は、一年のうちに数回のイベントで使うことが一般的。いえ、何年に一度あるかな? という方もいるかもしれません。
この「もっともっと使おう」の項目では、暮らし方が大きく変わった今の時代に、そして持続可能な未来に向けて森由来のモノ、森そのものを多彩に使うための仕事や活動にチャレンジを続ける人たちを紹介します。
かつては、毎日毎日、ある作業や仕事をすることが、身体と道具の使いこなし方を身につけたり、観察力を養ったり、勘を磨くことにつながっていました。山の男の人はどんな用事であっても山に入るとき、必ず腰にナタという刃物をぶら下げていたと言います。木にからみつくツルを見つけたら自分の山でなくともツルを切っておく(ツルがからみついた木は木材としての価値はなくなるため)とか、藪を払うのに使ったり、自分の人工林ならば行ったついでに枯れ枝を払い落としたり、などと森で大いにナタを活躍させました。
利用不足と表裏をなすのが、こういう道具の使い方を身につける機会がなくなったことです。同時に、それを使うために必要な身のこなしも体得することはできなくなりました。
さらに、仕事としてさまざまな森由来のモノやコトを提供してきた人たちが激減していきました。利用が減る→仕事量が減る→その仕事につく人が減るという流れによって、林業に携わる人や出てきた材を製材する人、加工する人、などすべての関係者も連なって減っていきました。
「学んで、身につけて、成長を続ける」の項目では、利用不足の結果生じている「提供する側」の減少と不足の課題や、さまざまな世代の人を育てることに取り組む仕事や活動にチャレンジしている人たちを紹介します。
森が近所にあっても、特別に用事はないから行くことはない、という話を多く聞きます。風景として日々目にすることができる森が多くある分、伊那市に暮らしている人の多くは、都会に住んでいる人たちのような森への渇望は持ちにくいのもたしかです。
一方、昔、必要だから森に入っていた時代は、子どもの頃にお父さんやお母さんなど大人の仕事(山菜採りや薪拾いなどなど)について行く機会のあった人も多くいたことでしょう。遊びながら、ちょっと手伝いをしたり、大人と一緒にいることで食べられる山菜やきのこを自然に覚えたり、来年もまた良いものが出てくるような採り方を何気なく見たりすることもたくさんありました。そういう機会が大幅になくなったことで、大人についていく中でごく自然に触れたり、その周りで遊んでいるうちに知らず知らず森とのつきあい方を身につけた機会が大幅に失われていきました。
「触れよう、知ろう、楽しもう」の項目では、森との接点が乏しい子どもも大人も、まずは森に触れる機会、知る機会を提供したり、仲間と共に継続して森と関わる仕事や活動にチャレンジしている人たちを紹介します。
イノシシやサルが、田畑の作物や果樹を食べ散らしたり踏みつけたりして荒らす。シカが山の木の樹皮を剥いたり、植林した木の芽を食べる。クマが集落内に出現して注意警報が出る—どれもこれも、めずらしい話ではなくなってしまいました。これらは人間が直接受ける「困りごと」ですが、野生動物たちの行動パターンの変化は、彼ら自身の本当のである森も変えてしまっています。
シカが大量増殖したことで、生き残るために彼らも必死になります。人工林の植林木の芽を食べるだけでは追いつかず、森の中で食べられるものならばなんでも食べて命をつなごうとします(ただし、植林された木の方が柔らかいためか、あるいは栄養がいいためか、先に食べられるそうです)。その結果、木々が混んで光が差し込まないときと同じように、芽がシカに食べられてしまって森の中の植物が育たない状態に陥ります。
もともとは、奥山の木の実のなる広葉樹が大量に伐採されて針葉樹人工林に変わったことと、昔のように森で人に出会う脅威が減ったことで動物たちはどんどん人里に近づいてきたと言われています。しかし今、結果的に動物たちの自らの行動が彼らにとっても森を住みづらい状態へと変える一因になっているとは、皮肉です。動物たちのバランスを取り戻すことは、わたしたち人間の責任と言えましょう。「野生動物との共存へ」の項目では、野生動物の数のバランスを取り戻すためにさまざまな仕事や活動にチャレンジしている人たちを紹介します。
その昔、伊那マツと呼ばれて優良なアカマツの生産地だったと言われる伊那市。今も植林されたカラマツと、自然に生えて大きくなった(一部植えられたものもあり)アカマツ、というのが伊那市の二大代表針葉樹です。このアカマツに今、マツ枯れが激しく広がっています。
枯れる原因は、マツノザイセンチュウという線虫がマツノマダラカミキリという昆虫を媒介にして広がることがわかっています。害をおよぼすセンチュウとカミキリの生態もわかってきていますが、伝播を抑えることは大変難しく−時期と手間と量−広がりを決定的に止めることはできていません。
ただ、被害が広がらなかったヒントはありました。戦後、西日本で大変なマツ枯れが発生したとき、当時はまだGHQが日本を統治していましたが、その命令で被害木の徹底した伐採が進められたそうです。当時は燃料がまだ薪だったので、伐採されたマツはそれぞれの地域で消費され、そのおかげで広がりが抑えられたというのです。これが1970年代になると、伐採はされても戦後のときのように使われずに材が残り、結果伝播が広がったそうです。被害木を伐って使うことがマツ枯れを抑える大事な鍵のようです。
この「マツ枯れに立ち向かう」の項目では、今進んでいるマツ枯れをくい止めることや、伝播前の材の利用を広げるなどの仕事や活動にチャレンジしている人たちを紹介します。