馬と生きる、という選択をした夫婦が、長野県伊那市高遠に暮らしています。
その馬は、ペットでもなく、乗馬のためでもなく、いまの時代ではほとんど目にすることがない、田畑を耕す「馬耕」や、山から切り出した木などを運搬する「馬搬」を行うための馬。
まさに生きるためのパートナーです。
効率や利便性を求めがちな現代の生活とは真逆の価値観を大切にしている、うまや七福の横山さんご夫妻に、今の暮らしにたどり着いたいきさつを伺いました。
□ 企業勤めから海外へ出て見つけたもの 桜の名所として全国的にも有名な高遠城址公園のある長野県伊那市高遠地区は、近年、県外からの移住者にも注目を集めています。横山夫妻も移住組。紀子さんは徳島県で育ち東京で働き、晴樹さんは茨城県で育ち、世界37か国を旅したのち、高遠にたどり着きました。 二人を結び付けたのは、高遠にあるフリーキッズヴィレッジ。そこは子どもが里山での自給自足の暮らしを体験できる寄宿塾です。東京で子どもたちの冒険遊び場を運営するNPOで働いていた紀子さんは夏のキャンプ地を探していた時に、そして海外生活を終えて日本に戻った晴樹さんは、馬と働くことのできる場所を探す中で、フリーキッズヴィレッジを知ります。そしてこの地で出会った二人は結婚し高遠で暮らし始めました。 後に独立し、住む家はセルフビルドで古民家を改装、田畑を馬と一緒に耕すなど、今でこそ自分たちの望む生き方を実現している横山夫妻ですが、晴樹さんははじめから自由な生き方を選んでいたわけではないそう。「大人になるまで、自分がやりたいことは特にありませんでした。よく中学生の時なんかに夢を書いたりしますが、全然なくて。高校を卒業してから、なにも考えずに工場でフォークリフトドライバーとして働き始めましたが、ハードな職場環境で、会社に行くことができなくなりました」。その仕事を辞めて期間従業員として働いているときにもらった、とあるアドバイスが晴樹さんの人生を大きく変えました。「30歳まで海外に行って、自分が本当にやりたいことをみつけてきて、それから日本で動き始めればいいんじゃない? という漠然としたアドバイスだったんですが。それを聞いてその通りにしました(笑)。ニュージーランドにワーキングホリデーに行って、セルフビルドで日干し煉瓦から家を作っているところに住みこみ、そのまま7か月間働きました」。 その環境には晴樹さんが今まで出会ったことがないような価値観で溢れていました。いろいろな国、立場の人が入れ替わり集まって来て、男の人も女の人も同じように料理をし、大工仕事をする。そして、5時になったらビアタイムといった光景に衝撃を受けたそう。 「旅では、日本にいる時には得られなかったようなリラックスできる時間がありました。そして“これだ!”という、流れをつかむきっかけがありました。日々忙しい暮らしからの脱却というか」。この経験から、いろんなものを見て、いろんなものを感じて、やりたいことをとことんやってしまおうと決めた晴樹さんは、約10年、日本で稼いで海外で放浪をするという繰り返しの生活を行いました。30歳になるまでに訪れた国は37か国。「海外では日本のように便利ではないところも多くあります。そういう暮らしが大変だっていう人もいますが、人が集まって、一緒になって楽しそうに作業をしている、それが地域の中の風景を生み出しているのが素敵で。それを日本でもやってみたいと思うようになりました」。 □ 「馬耕」「馬搬」との出会い 晴樹さんが馬に惹かれたのもこの海外生活に端を発しています。「海外にはバイクの免許を持っていったんですが、馬を飼っているシェアメイトがいて、天気がいい日などに調教に連れていってもらったり、ビーチで乗馬させてもらったりしているなかで、何となく“自分には馬だ”とひらめきました」。 30歳を過ぎて日本に戻ってきた晴樹さんは、馬と生きるための仕事を探します。そしてタイミングよくフリーキッズヴィレッジのスタッフになったときに、伊那市内の小学校で飼育していた馬を引き受けてくれる人を探しているという話が持ち込まれました。その馬を3年間借りるという約束で、馬との生活が始まります。「始めは馬耕というキーワードはありませんでしたが、その伊那の小学生たちの夢が、馬耕をすることだったと聞いて挑戦することにしました。そうしたら、なんと馬耕での農業を最後の最後、昭和50年代ごろまでしていた方が近所にいたことを知り、そのお家の人から道具を受け継いで馬耕を始められることになりました」。 しかし、その馬は気質が馬耕に向いてなかったこともあり3年で返却。次に、穏やかな気質の馬を迎え入れて挑戦しましたが、なかなか上手くいきません。そこで修行が必要だと、岩手県遠野に馬搬を習いに行きます。馬搬とは、馬で伐採した木を運搬すること。実は、馬搬ができる馬は馬耕もできるようになるのだそう。そこで晴樹さんは初めて馬搬を経験します。その後、師匠に馬耕や馬搬に向いた馬を、と紹介してもらい新しく迎えたのが、今一緒に生活をしているビンゴくんです。「馬は飼い主の鏡ですね。たとえ馬に力量があっても飼い主の指示が曖昧だと言う事聞いてくれません。ビンゴを迎えて5年たちますが、やっと落ち着いて仕事を一緒にやれるようになってきました」。 かつて農耕を行うためには馬が必要な時代があり、それが牛になり、耕運機へと移り変わってきました。便利になったといっても、実際には畦に生えた雑草を刈るのだって一人で道具を使って行うのは重労働です。一方でそこに馬がいれば、馬が草を食む。馬の食事が草刈りにもなります。「やっていくうちに、馬との暮らしは非常に理に適った、本当にいいものなんだと感じています。昔の人にとっては当り前のことの多くが今は失われています。昔は大変だったというけれど、今は選べる時代です。馬に限らずこうした“楽しい!”と思えるやり方をひとつひとつ選んでいく、自分たちの手でつくり出す喜びが今の暮らしには満ち溢れています。この喜び、この価値観を子どもたちに伝えたいですね」。 □ 知らないことが多いから、楽しく生きることができる 価値観が多様化し、個々が自分の好きなように生きることが可能になっている時代。一見すると自由な生き方が尊重されているようで、実は「こうあるべきだ」という見えない枠に縛られているようにも感じられます。 東京で働いていた妻の紀子さんにもそういったジレンマがあったそう。「私たちが運営していた遊び場は、来たい子が来て、その子がやりたいことを尊重することを大切にしていました。社会の中にやりたいことがやりたいようにできる場所が少なくなっている中で、ないなら一から生み出せばいい、現状は自分の意識や行動で変えることができる、ということを、子どもたちに見てもらう場所でもあって。私たち大人は子どもたちに何ができるのか、大人側の生き方が問われているように感じています」。 伊那市高遠は一見すると何もない、と思われがちな田舎。しかし、横山さんご夫妻にとっては多様な選択肢と自由にあふれた地でした。「おもちゃにしても、これはこれ専用、と遊び方や使い方が決まっていると、壊れたらそれ以外のものとして遊べなくなってしまいます。都会での暮らしがまさにそれ。それに比べて高遠はこれだけの自然にあふれています。自分たちで暮らしを作り出す知恵さえ持っていれば、なんでもできるという大きな可能性を秘めています。そこには、生み出していく楽しさや何かを自分で発見する喜びがあふれていると思います」。 多くの自然、それを自分の暮らしに活かすすべを知らない人にとっては、「ない」ものになってしまうれけど、知識や経験があれば豊かな可能性になります。先人たちが培ってきた知恵が失われていく時代の流れにあって、そこに楽しみや喜びを見出すことができるのが、横山さんご夫妻の生きる力でもあるのです。 「はじめは、自分には知恵がないからできるかな?って思っていたけど、知らないからこそ教えてもらえる楽しみがあります。ご近所のおばあちゃんに教えてもらって、自分たちで麹を作る、みそや漬物を作る。全部自分でできるんだ、と発見していくのは本当に楽しいです。味噌に始まり家の作り方まで、いろんな人に教えてもらっています。自分たちのできないことがたくさんあるというのは、いいですよ。完璧じゃない方がいろんな人とつながれるから」。 横山さんご夫妻のセルフビルドをしたご自宅は、100人もの人が関わったといいます。家を作るという、普段できないことをみんなで楽しんで作ることができる。それは、晴樹さんが海外生活で経験した暮らしの風景の一端でもありました。「友達というよりも家族みたいな関わり方を旅から学んで、自分もそういう風にオープンな場所を作りたいと思っていました。いろんな人のところに家族のように泊まりに行ける場所がたくさんあって、逆に悩んだ若者がうちにきたりして、一緒に仕事をして。みんなうちにきたら「こんなんでいいんだ」って元気になりますよ(笑)。こういうライフスタイルがあると楽になるのかもしれませんね」。
横山晴樹(よこやまはるき)、横山紀子(よこやまのりこ)
長野県伊那市高遠で、馬耕、馬搬を行う「うまや七福」を主宰。うまい米倶楽部という田んぼオーナー制度で仲間と一緒に馬耕米を作り、子どもの山村留学を受け入れ、里山暮らしの楽しさを伝えている。また、地元の保育園や小学校や全国各地で馬耕やイベントを企画して、馬との暮らしの魅力を伝える活動を行っている。