株式会社やまとわ/KOA森林塾

株式会社やまとわ/KOA森林塾
株式会社やまとわ/KOA森林塾

やまとわでは現在3つの事業部で活動しています。
やまとわの理念は「森をつくる暮らしをつくる」。豊かな暮らしづくりを通して豊かな森づくりを目指している会社です。
・森事業部 – 森と暮らしをつなぐ事業として、イベント企画運営や森に関わる人材育成、森林利用や人材育成のアドバイザリー・プロデュースなどを行なっています。
・木工事業部 – 地域材をつかった家具づくりを通して森の出口づくりを行っています。
・農と森事業部 – 夏は農業、冬は林業という2つの産業の組み合わせで古くて新しい農林業の生業づくりにチャレンジしています。

電話:0265-78-2121

FAX:0265-78-2121

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だれでも学べる森づくりのノウハウを 〜日本じゅうに飛んだ種が育った25年〜

KOA(コーア)森林塾(しんりんじゅく)(KOA株式会社、株式会社やまとわ)

 

■習いさえすれば山づくりはできる
森について何も知らない人が、ゼロから森の手入れを学べるKOA森林塾1が始まったのは、1994年の春でした。塾の大黒柱となる島崎洋路(しまざきようじ)さんが(元信州大学農学部演習林林長、教授) 定年退官するのを待ってスタートが切られました。森林塾は、島崎さんなしには始めることができなかったからです。 塾が開かれることになったきっかけは、さらに3年さかのぼった91年のことです。ある日、島崎さんはなじみの店で飲みながらたまたま隣り合わせたお客さんに日本の人工林の手入れ不足について、持論を話していました。 「このままでは山(以後森と同義)は大変なことになる。でも小さな面積の山主さんならば、休日に手入れをするだけで山はみちがえる。素人でも習いさえすれば山づくりはできるんだ。私はその手入れの仕方を退官したら教えたい」というような内容です。島崎さんは、山仕事全般を自ら実践して教えられる日本で唯一の大学教授でした。 そのとき、近くで予期せぬ人が話に耳を傾けていたことを島崎さんは知りませんでした。

■山の教授と「農的生活」社長との出会い 島崎さんが帰宅すると、さっきまで飲んでいた店のママから電話が入りました。会わせたい人がいるから翌日もまた店に来て欲しい、とのことです。行ってみると、そこにはKOA株式会社(以後KOA)の社長(当時)、向山孝一(むかいやまこういち)(現KOA会長)さんがいました。「いや先生、昨日の話、おもしろかったよぉ」と切り出して向山さんが申し出たのは、2つのことでした。1つは、自分の山の手入れの相談。そしてもう1つが、「うちの会社で人工林の荒廃に対して何かお手伝いできないか」というものでした。 思いもよらない申し出でした。KOAはおもに抵抗器などの電子部品を扱っている会社です。その社長の向山さんが、人工林の手入れ不足という難問解決に強い意欲を示したことに島崎さんは大変驚いたのです。

■「生命(いのち)」の源(みなもと)のために
80年代、向山さんは会社の業績悪化に伴い、社員始め取引先とも信頼関係を失う厳しい数年を過ごしたことがあります。悶々と過ごす日々の中で、突然のできごとが起こりました。出張先のアメリカで、「地球に生かされている」という思いに突如として包まれる経験をしたのです。あたりまえに呼吸をし、あたりまえに水を飲み、あたりまえに食べる−そうやってあたりまえに「生きている」のではなく、「生かされているんだ」という思いに激しく包まれ、揺さぶられたのです。大きな意識の転換が起こりました。 ひとたびその思いに至ると、何もかもがあたりまえではなくなりました。そうして2つのすべきことが見えてきました。1つは信頼を回復して会社を立て直すこと。もう1つが生命を育んでくれる、地球、自然に対する行動です。農的生活を会社のさまざまな分野に取り込み始めます。 特に、水は象徴でした。すべての生命にとって欠かせない水。その水を育む森に起きている重大な異変と、「学んで、自らやれば山はみちがえる」という島崎さんの話は、向山さんにとっては聞きのがすことのできないものだったのです。 こうして、必要な森の手入れに会社全体で何かできないか、と即座に申し出ることになりました。

■サラリーマン、林業プロになる
それに対して島崎さんの答えはこうでした。 「ありがたい話ですが、山について何も知らない人が大挙して入っても、山づくりはできないのです。むしろ、社内に一人のプロをつくった方がいいかと」。 その一言でサラリーマン人生が大きく変わった人がいます。94年の島崎さんの大学退官に合わせて、島崎さんに弟子入りし、KOA社内での林業専門家になることになった早川清志(はやかわきよし)さん(13年KOA定年退社。19年まで嘱託社員)です。社長からの打診は次のようなものだったそうです。 「島崎先生の退官にあわせて先生のもとで林業の勉強をしてほしい。それと一般の人に山仕事のあれこれを教える学校のようなものの事務局をしてくれないか」と。思いもかけない話でしたが、「おもしろそうですね」と答えた早川さんは、94年の4月から島崎さんの弟子となりました。会社に出勤する必要はない、という完全な林業修行出向でした。

■KOA森林塾始動
向山さんは、実は森づくりを学ぶ本格的な森林学校設立を島崎さんに持ちかけていました。向山さんの熱意に脱帽しながらも、学校設立は大変むずかしいので、「塾ならば」ということで決まったのが「KOA森林塾」です。 塾の内容は、人工林づくりの基本でした。大学の演習林で大学生に教えていたものがベースです。大学生も、最初はまったくの素人です。同様に、ゼロから知っていくプロセスを塾の形につくっていきました。教える人は2人、島崎さんと島崎さんの旧制中学時代の同級生で、当時、指導林家2だった林業家の保科孫恵(ほしなまごえ)さんです。事務局を、島崎さんの弟子となった早川さんが担いました。 塾は年間18回(翌年から15回、以後、回数、曜日とも多少の変動)、日曜日の朝8時半から4時ぐらいまでと、1日びっしりでした。内容は、人工林を育てるために必要な知識と技術ですが、春の山菜採りや秋のきのこ狩り、先進地の林業を学びに行ったり、製材の見学、住宅見学に炭焼きなどもありました。四季を通しての森との関わりが体験できるようになっていました。

■なぜ間伐が必要?
中でも一番の目玉は、チェーンソーを正しく使えるようになって間伐ができるようになることです。間伐とは、植林した木の中から一定の本数を抜き出して伐ることで、残した木に太陽の光が十分注ぐようにするための作業です。 植えられた木は成長するうちに背が高くなり、相対的に木と木の間隔がせばまります。たがいに枝を重ねるようになると、光が木全体に降り注がなくなってしまうのです。木は、光が葉に注いで行われる光合成で大きくなります。だから、枝葉に光が注がれなくなると、木は太れなくなるというわけです。それを避けるために、間伐が必要になります。 90年代は、人工林で間伐が必要になってきた時代であり、後半にはその大幅な不足があきらかになった時代でもあります。伊那市も、例外ではありませんでした。

■週末林業でよみがえる山
植林してから20〜30年後に必要となる間伐は、90年代に続々と行われる予定でした。60〜70年代に大量に植えられた人工林が間伐の時期に入ったからです。しかし、植えたとき農山村にいた人、林業をしていた人が大激減していました。広がった人工林面積と、激減した人‥間伐がまったく追いつかなくなる時代の幕開けです。 そのころ島崎さんに閃いたのが、林業で生計を立てているのではない、小さい面積の山主さんたちでした。実は数でいえば、小面積の山主が圧倒的に多数派なのです。そういう方たちは当時多くが勤めに出ていました。それならば、週末など定期的な休みがあります。 「休日の楽しみとして、山主が年間数日だけ山仕事をしてくれれば、山はみちがえる」というのが島崎さんの持論になっていきます。

■チェーンソーを安全に
しかし、「丸腰では何もできない」というのもおきまりのセリフでした。森を扱うには、森に対する知識と、さまざまな技術が求められます。特に間伐は、チェーンソーというエンジンで高速回転する道具を使います。その威力と危険性は大きなものです。 ところが、そのチェーンソーを使っているのに「全然伐れていない」という場面に島崎さんは多くぶつかっていました。チェーンソーも刃物です。研がなければ切れなくなるのですが、うまく研げない人がほとんどだったのです。結局、買ってもじきにお蔵入り、というチェーンソーがとても多かったと言います。 チェーンソーは、林業や森との関わりがなくとも伊那市では比較的持っている人が多い道具でもありました。庭木や果樹、薪を使うなど、一家に一台あると便利な道具だからです。そういう人たちに、チェーンソーの使い方とメンテナンスを身につけてもらえば、そして安全な木の伐り方、その必要性がわかれば、山主さんのみならず、間伐をすることはできると考えたのです。

■押しかけ弟子、押し寄せる
塾が始まった当初、最もノウハウを伝えたい山主さんたちの参加は実はそれほど多くありませんでした。Iターンや、遠方からの参加者、そして少数でした。それが大きく変わるのが、島崎さんがメディアに取り上げられるようになってからです。 島崎さんの著作『山造り承ります』も出版され、90年代の終わりから2000年代にかけて、テレビや新聞、雑誌などが島崎さんを取り上げました。NHKで『森のドクターと仲間たち』としてドキュメンタリー番組も流れました。メディアの効果は大きいもので、塾の申し込みが増大し一時は抽選になるほどでした。山主や森林組合で働くプロも参加するようになります。 人数が増え、島崎さん、保科さん、すでに林業のプロとなっていた早川さんの三人で教えるのは危険な状況になっていった頃、救世主があらわれました。島崎さんの押しかけ弟子たちです。90年終盤、島崎さんのウワサを耳にした人たちが、全国から林業を志して伊那市に集まりだしていたのです。彼らの出身は大阪、神戸、東京、埼玉、神奈川、広島などなど、みな転職してきたほぼ素人でした。 そういう彼らが、日常の島崎さんのもとでの山仕事修行のかたわら森林塾の講師を務めるようになります。「教える者がもっとも学ぶ」というのも島崎さんのきまり文句でした。こうして、手厚い体制でじっくり学べる形ができあがっていきました。

■伊那市から全国に種が飛ぶ
以来23年。2004年春に保科さん、島崎さんが勇退して年に一回の講師となってからは、早川さんが指導の統括となり、プロとなった島崎さんのお弟子さんたちが継続して講師を務めていきました。2016年まで通年コースが開かれていたK0A森林塾に学んだ人数は、延べ974人にのぼります。北は北海道から、南は熊本まで、38の都道府県から伊那市に足を運んだ人たちです。遠方からも参加できたのは、3日間の集中コースや、専門的な伐採技術を学ぶ専門コースもつくらたからです。 結果、日本各地で知識と技術の基本を学んだ塾の修了生たちが中心になった森林ボランティアグループやNPOができました。プロになった人ももちろんいます。中でも全国展開された例としては2つの取り組みが有名です。 愛知県を流れる矢作川(やはぎかわ)流域の人工林を2005年から10年間に渡り調査した『森の健康診断』3と、その数年後に始まった『木の駅プロジェクト』4です。どちらも修了生が活躍し、広く全国に伝播した取り組みです。

■塾参加者、伊那で大活躍!
お膝元の伊那市では、減少が激しい林業の世界に知識と技術を身につけた若者を送りだしました。彼らが事業体を作り、新たな若手を育てたりもしています。 もっとも古いのが、島崎山林塾企業組合です。2002年に島崎さんのお弟子さんたち7名が集って始まりました。大きな機械を使う事業体が手を出しにくい、たとえば林道が狭い、土場(伐った木を集める場所)が作れない、経済性が良くない木が多いなど、不利と見られる現場をていねいに受けています。 この企業組合の設立メンバーで、のちに独立して「教える」ことに特化していったのが、現在(株)マルイチで特殊伐採(とくしゅばっさい)を指導している藤原祥雄(ふじわらよしお)さんです。トレッキングガイドをしていた経験から、「受講者の満足度」のために毎回中身を練り直し、その教え方のわかりやすさには定評があります。 山造り舎の川島潤一(かわしまじゅんいち)さんは、地域密着で継続した「荒らさない林業」での森づくりを実践しています。森林塾の講師を長年つとめ、後進の指導はもとより一般の人、学生たちへの普及にも熱心に取り組んでいます。現在、上伊那地域林業士会の会長でもあります。 塾を契機に林業に参入した方がたはまだまだいますが、高齢化が激しい林業の世界で、みなさん貴重な中核となっています。 林業以外でも、山主を筆頭に、木工関係、薪ストーブ関係、建築関係、などと伊那市内で塾に参加した方々の層の厚さは木と関わる仕事の方の多くに広がりました。

■若手も台頭
さらに30代、40代の若手の活躍が近年目を引いています。NPO法人森の座は、小さな山林所有者や地区の共有林など「どう森を扱ったらいいのかわからない」という方たちの相談を受けられる、地域の森づくりを担える組織をめざして2005年に立ち上げられたNPOです。理事長の西村智幸(にしむらともゆき)さんは森林塾修了後に転職して森の座を結成しました。 森の座は、林業プロたちの定期的な勉強会をもち(誰でも参加可能)、木材が使われるように丸太を板に挽くことや、その材を使う木工の機会を提供したり、『薪づくり強化週間』という間伐材を自ら薪にする人たちを増やす努力をしたりなど、NPOならではの幅広い活動を展開をしています。 森の座の副理事でもある金井渓一郎(かないけいいちろう)さんは、木材生産はもちろん、正月用のマツの販売や、お盆用のシラカバの樹皮などなど、通常の林業では扱われないものも大事にしています。森にあるさまざまな恵みの活用を山主に積極的に持ちかけて、森の価値をあらためて山主に伝えようとしているのです。さらに友人、知人に「副業的林業」を広める手腕も高く、何人も林業に引き込んでいます。 伊那市西箕輪薪の会は林業プロと地域住民がコラボレートしている会です。金井さんとセミプロになった仲間たちが伐採と材の引き出しを仕事として受けて、薪用に玉切(たまぎ)ったり(丸太をある長さに切ること)、割ったりを地域住民が行うという形で安全に続けられています。薪は地域の公民館で使うことが第一目的で、余剰分を参加者がおすそ分けしてもらう、ということです。

■新たな森林塾へ
そして今、KOA森林塾は新たなステージに入っています。2016年にKOAの子会社、株式会社やまとわができたことにより、森林塾はやまとわの森事業部に引き継がれたのです。 やまとわは「山(やま)・杜(と)・環(わ)」という3つの漢字から取られた社名をもちます。『森をつくる暮らしをつくる』を掲げ、森事業、木工事業を二本柱に、暮らしに必要な農、住む、など多様な事業展開を進めています。 2017年度以降、森林塾は通年コースから季節ごとに、入門コースと中級コースとに分けての開催となりました。いずれも中心はチェーンソーを安全に使い、森の手入れができるようになることがあります。同時に、森の見方、伐った木がどのように売られるのか、どのように使われるのか、などの森を出てからの材の旅を追う部分を重視してこの2年行われていました。 塾の変化は、内容をやまとわとして磨く中でさらにありうると言うのは森事業部でKOA森林塾を担当する榎本浩実(えのもとひろみ)さんです。

■間伐の変化
「これまでの森林塾の影響で、山仕事を学ぶ機会が行政などでも広がってきました。それはとてもいいことだと考えているんですね。一方、民間の私たちは、もっとキメこまかくと言いますか、民間ならではのものを提供しようと議論を重ねているんです」と塾の内容をより魅力的なものにするために社内でずっと検討していると話します。 それは、塾が始まってから25年という月日が経ったことによっても求められている模索とも言えます。塾が始まった90年代と、2020年を目前にしている現在とでは、間伐する森の状況が大きく変わっているのです。塾開始当初、間伐が必要な木は20〜30年とまだ若く、それほど太くありませんでした。誰もが学んで手入れをすることができる時代でした。 しかし25年の間に、植林された木々は50〜60年と育ちました。植林の計画で言えば、「収穫」可能な年齢となっているのです。太く、大きくなっている木を伐ること、森から材を出すことが高度になる時代へと移っていました。 今までの塾の内容では、森にも対応しづらくなっているのです。その中で、より高度な技術や、どういう使われ方をするのかという到達点によって伐り方を変えることで材の価値を上げるなどを学ぶ、という方向もこの2年試みられていました。

■「森」と「暮らし」をもっと近くに
では、塾の内容をどんどん高度にすることになるのでしょうか?そこが模索の原点だと榎本さんは言います。そして、榎本さんは、「暮らし」にも焦点を当てたいと希望していました。 榎本さんは木曽にある長野県林業大学校で、木材生産中心の林業を2年間学んでいます。しかし、もともと榎本さんは「山の循環する暮らし」を学ぶために木曽に来ました。学校では「暮らし」とつながる学びが少なかったものの、一歩外に出ると木曽はまさに宝庫でした。在学中に地域の行事に積極的に参加し、卒業後木曽で地域おこし協力隊として深堀りした3年間が、「山の循環する暮らし」の再生の願いを決定づけます。 「ふるさと体験館というところで地元のおばあちゃんたちが山菜やきのこや漬物や、昔ながらの山との暮らしを再現してくれるんですが、話を聞きながらなので、もう本当に楽しくてすごくて。これを絶対なくしたくないと思って」。 木材を育てる林業の意味、大事さを学んでいるからこそ、それと合わせて「木材とは違う価値の山」が共に大事であることをもっとあたり前にしていきたい、とより強く願うようになっていきました。

■丸ごと森の営み
この1年、榎本さんは定年後継続して勤めていた早川さんの弟子となってさまざまな森の仕事を学んでいます。25年前、早川さんが島崎さんの弟子として過ごしたように。間伐をしたり、材を出したり、森林の調査をしたり‥。林業大学校時代にどれも体験はしましたが、日々の仕事にした経験はありませんでした。そのどれもが「楽しいです! 」と学びの連続だと言います。 木曽で学び続けた四季折々森の恵みをいただく知恵と技を生かす暮らし方と、その森の中の木々を育て使い続けるための仕事。榎本さんの中では、その両方が丸ごと森の営みとしてつながります。それらをどう民間企業の事業として魅力的な塾の中身につくれるのか? 木材も山菜も仕事も暮らしも、森のすべてのつながりを知り、味わい、身につけることができる塾。 お題は大きく、議論はなかなか尽きないそうですが、高校生の頃から抱き続けてきた「山の循環する暮らし」の再生に直結する今の仕事につけた喜びは言葉で表せないと言う榎本さん。どんな新たなKOA森林塾を生み出してくれるのか。 塾の進化は続きます。

1 1994年〜2016年までKOA株式会社主宰、2017年〜やまとわ主宰 2 他の人の模範となるような先進的な林業生産活動をしている意欲的な林家 3「楽しくて少しためになる」を合言葉に、市民が森林ボランティアや研究者と一緒に流域の人工林に分け入り、人工林の状態を科学的に調べる取り組み 4 森林整備と地域経済の活性化を目的として、間伐された木を「木の駅(材の集積場)」に集め、その材を売ったお金を地域通貨として受け取り地域の商店で使えるようにした取り組み (ネーミング、内容のバリエーションはいろいろあり)。現在「兄弟木の駅プロジェクト」として全国50カ所で実践されている

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