木平英一さん / 株式会社ディーエルディー

木平英一さん / 株式会社ディーエルディー
木平英一さん / 株式会社ディーエルディー

ストーブの薪に革命を! 〜NGとされた針葉樹で便利な自動宅配薪システムを構築〜

住所:〒396-0217 長野県伊那市高遠町上山田2435

電話:0265-94-6133

FAX:0265-94-5133

URL:https://www.dld.co.jp/

ストーブの薪に革命を! 〜NGとされた針葉樹で便利な自動宅配薪システムを構築〜

木平英一(このひらえいいち)さん(株式会社ディーエルディー バイオエネルギー事業部)

 

■ 薪で万里の長城(ばんりのちょうじょう)!
春から夏にかけて、伊那市で風物誌となりつつある景観があります。伊那市役所から桜で有名な高遠に向かう途中、三峰川(みぶがわ)河川敷の横手にならぶ膨大な薪、薪、薪の壁です。中国の万里の長城は石組で一列ですが、三峰川に沿ってこの薪を一列にならべれば、さしずめ木製万里の長城と呼びたくなるほどの量です。
ここだけではありません。高遠とは反対側、天竜川を越えて木曽に向かう権兵衛(ごんべえ)トンネルへと至る国道361号線を車で走ると、広域農道を超えた少し先の休耕地でも薪の壁に出くわします。こちらはさしずめミニ薪万里の長城です。 これらは、ストーブ用の薪ストックヤード(集積場)です。なぜ春から夏にかけての風物誌かと言えば、オンシーズンの秋から翌年の春先にかけてどんどん消費され、長城は急速に短くなってしまうのでした。

■ ストーブ薪の常識に新風を
薪になじみがなくなった今の日本です。旅人がこれを目にすれば、「わあ〜すごい! 」と薪がずらりと並ぶ景観に驚きの声をあげてくれます。とはいえ、それらの薪がどんな樹種かだなんて、気にかける人は多くありません。しかし、「日本一の薪ストーブ率」と言われる伊那市の方はちょっと違いました。
「なんだ? 針葉樹じゃないか! こんなもん売れるのかよ? 」と、揶揄(やゆ)する声がささやかに、ときに堂々と耳に入ってきたそうです。 「すごく気にしてくれてたんだと思います(笑)。みんな、できればアカマツやカラマツが使えたらと思ってたんですよ。だから、これってどうなのよ!? うまくやれるのか? と」。始めた当時を思い出して笑う木平英一(このひらえいいち)さんは、薪の万里の長城の司令塔です。 一般的には、ストーブ用の薪はナラやクヌギなどの広葉樹という考えが薪ストーブユーザーには根強くありました。最近は変化が出てきたものの、薪ストーブをすすめる雑誌や本は「ストーブの薪は広葉樹ですよ」とくりかえし伝えていたのです。いわばストーブ薪の常識、でした。
木平さんが株式会社ディーエルディー(以下dld)に入社して、市内で多数を占める針葉樹のアカマツ、カラマツをストーブ薪に提供するという新風を起こしたのは、2007年のことです。

■ 根源は「木をどううまく使うか」
その年、木平さんは40歳で伊那市にUターンしてきました。戻ってからの仕事についてはまったく白紙で、Uターン前には薪事業の「ま」の字も思いついてはいなかったと言います。 前職は、名古屋大学で森林系の特任助教授(今は特任准教授という)をしていました。専門は山の水の水質の研究。そう、木平さんは森林の専門家なのです。 「大学に長くいたので、とにかく森林の課題は《木をどううまく使うか》だなと思っていたんです。反対に言えば、そこがなかなかうまくいかないから、森林や林業はダメになっているので、すべての根源はそこだと」。
しかし、使うという目的は同じで始まる業界の流れは、大きな製材所を造って、木材が一カ所に集まるようにして‥という仕掛けが常でした。多くの補助金が使われながら、成果ははかばかしくないというものばかりを見聞きしていたのです。

■ 好きなことと稼ぐこと
大学で研究の助成金をとったり、折衝をしたりに忙殺されているとき、教育をする立場なのにじっくり考える時間がないことに「どうなの?」と疑問がふくらみ退職した木平さん。「伊那に帰ろう」と決めるのにあまり悩まなかったと言います。
「そのとき下の子どもが小1で、田舎で過ごさせたいということもあったんです」。 先の心配をあまりせずに決められたのは、伊那に家があったことと、経済学部を出て生命保険会社で働き、その後違う専門の森林の分野に変わって大学院に入り直した経験でした。社会でやっていく自信、好きなことを見つけていける感触がありました。そして家族の理解。 「生保の仕事では福岡にいたんですが、仕事も福岡暮らしもおもしろかったし、大学での研究もおもしろかった。でも、助教授になってどんどん時間がなくなって。これじゃあと思ってやめるとき、ぼくは好きなことだけをして暮らせるとは思っていなかったので、好きなことと稼ぐことのバランス、それの取り方だと思っていたんです」。

■ 伊那にあるじゃん! これまでの経験を生かしながら好きなことと稼ぐことのバランスを探ろうと伊那市に戻ってきてみると、あちこちで薪が作られ、その薪がストーブに使われているのを目にします。 「森林や林業の再生というと、(業界では家の)柱の材を作るという話になるんです。でも、うまくいかないケースばかり。(柱材では森は)動いていない。それなにの同じことを繰り返していて、それじゃダメじゃんと思っていたんです。それが伊那では薪でいろいろなことが動いている。薪で森林利用でいいじゃないか!
伊那にあるじゃん! そう思って薪の仕事がしたいな、と考えだしたんですよね」。 2007年、伊那市に広がっていた薪ストーブの利用度の高さと、地域の森から出てくる木が薪として使われていることが、木平さんの専門家魂に火をつけました。薪を軸にして森が動く連鎖をつくるような仕事、という思いが浮かびます。

■ 火のある暮らしの豊かさを 木平さんを動かした伊那での薪ストーブの多さは、日本全国での普及率が0.3%なのに対して、5%にのぼることでも伺えます。
「それでも5%しかないんですよ。ドイツでは50%です。それも都市部を入れて50%。ドイツの農村ではほぼ100%薪ストーブが家にあるんです」と日本一の呼び声高い伊那市のストーブ率では、「まだまだこんなものではない」と言うのはdldの三ツ井陽一郎(みついよういちろう)社長です。dldは、伊那市の薪ストーブ販売・施工会社のパイオニアです。創業は1983年(株式会社化1995年)です。 80年当初、薪ストーブ輸入会社は東京にはいくつかありましたが、伊那市ではもちろん初めてでした。dldを立ち上げたとき、三ツ井さんの周囲のほとんどの人が薪ストーブを知らなかったと言います。
それでも始めたのは、宣教師の家で出合った薪ストーブの、かつて経験したことのない衝撃の暖かさでした。寒くて寒くてたまらないその頃の伊那の家とくらべて、まるで別世界だったと言います。アメリカやヨーロッパの家で薪ストーブを囲む団欒や、なんとも言えない豊かな雰囲気が出てくる映画にも魅せられました。「もう、これしかないと思いましたよ」と、すべてが手探りの薪ストーブ普及が始まりました。

■ 追い風
住民に知られていない薪ストーブに、日本にはまだないタイプの煙突、わからない設置の仕方‥。東京の輸入代理店が販売だけで、施工は業者に任せるやり方に対して、伊那ではすべてをやる必要がありました。ストーブの販売と一緒に、必要な装置の開発と取り付け工事、と試行錯誤をしていきました。 インターネットもなければ、まだ薪ストーブ雑誌などもないころでしたが、別荘でのニーズや、80年後半からはログハウスブームが始まるのも追い風となります。90年代に入ると田舎暮らしのブームもやってきました。薪ストーブは自然豊かな場所に暮らすための憧れの存在という位置づけができていきます。
設置される薪ストーブは台数を増やしていきました。そういう中で、ユーザーの求める薪はもちろん広葉樹でした。

■ 針葉樹薪、最初のトライ
そんな90年代前半、三ツ井さんに「アカマツの薪をやらないか?」と持ちかけた人がいました。KOA(コーア)森林塾で名物先生となる島崎洋路(しまざきようじ)さんです。間伐したアカマツを提供するから、と。島崎さんも、間伐したアカマツやカラマツの行き先がなく、森の中にただ切り捨てられていることに胸をいためていたのです。
90年代は日本の木材を使うことが、もっともむずかしくなっていた時代でした。木材のマーケットは輸入される材が8割を占めていたのです。国内の材は行き場を失っていました。ましてや間伐材では引き取り手がありません。やむなく「切り捨て」と言って森の中に置いておかれる方法がとられていました。そうしなければ、間伐が進まないマイナスがあったからです。 三ツ井さん自身は身近にあるアカマツ・カラマツを薪ストーブに使って何の問題も感じていなかったので、島崎さんの話を受けてオーナーたちに針葉樹の薪の利用を声がけしてみました。見事にノックアウトです。いいよ、と言う人は一人もいませんでした。

■ 出会う
一方、薪ストーブが設置される家は、その後も増えていきました。そこで出てきたのが、薪の提供が追いつかない、という事態です。「追いつかない」のは、薪を作って運ぶまでの「手間」と、求められる広葉樹の「材」です。 広葉樹は、アカマツ林に混じって生えていたり、急な斜面に生えていたり、と目にすることはもちろんできました。しかしまとまって利用するには、奥山の森に行かなければむずかしかったのです。 増えるストーブユーザーに、追いつかない薪のサービス−。薪を自前で作る人はいましたが、それを前提にしていてはストーブユーザーは広がりません。そんな悩みを抱えていたとき、三ツ井さんはUターンした木平さんと再会し (地元同士の二人に面識はあった)、ゆっくり話す機会がありました。薪はおもしろい、薪で森を動かしたいと思っていた木平さんとの話は早いものでした。

■ どうなの?を攻略
こうしてdldでバイオエネルギー事業部を立ち上げることになった木平さんですが、最初から現在のシステムを考えついていたわけではありませんでした。それまでされていた薪の宅配に関わりながら、「どうなの、それって?」とぶつかる疑問を攻略していく中で次第に作られていったのです。
「たとえば、その頃は薪は全部タガと言って針金の輪っかに詰めていたんです。タガ1束の値段設定なので計算しやすいし、運ぶのに楽だということでしたが、タガに詰める作業にすごい手間が必要で。お客さんにしてもそのタガが全部ゴミになって処分がちょっと‥と思ってたんですね」。 サービスをする側される側、どちらにもデメリットがあるのならば、「もっと互いにいい方法を探れないか?」と試行錯誤が始まります。

■ 物流を変えろ
まず、タガ詰めをやめました。薪をバラでユーザーのストックヤードに運んでみました。ひと冬分の薪を運ぶためには大型トラックで行くことになり、それを各家庭の薪ストックヤードに運び込むのは大変な重労働でした。 しかし、運びながらユーザーたちの声を聞くことができました。ひと冬分の薪を置いておける家庭はかぎられているとか、薪ストックヤードは家から少し離れたところに作られているので、ユーザーたちもヤードから自宅に薪を運ぶ手間がかかっている、などです。 ならば、家に隣接して置ける形、減ったら補充して‥プロパンガスが思い浮かびました。ガスは毎月の使用量が計られ、使った分だけ請求されます。それと同じように薪が使えたらユーザーは楽になり、そのサービスはタガ詰めをする手間を振り分けられないか‥。
こうして、自社専用の薪ラックをユーザー宅に設置するやり方ができていきました。最初に満タンにした薪が使われていき、1週間〜10日に1度、地域の担当者が補充に行っては利用分を計測して使用量を確定し、月末にまとめて使った分の請求をする、という現在の薪の自動宅配サービスが形をなしていったのです。

■ 針葉樹薪、再び
そしてこの物流を変える流れが、薪に対する意識変換のチャンスでした。森を動かすために薪事業を手掛けた木平さんなので、大きな目的に使われていないアカマツ、カラマツの針葉樹を使うことがありました。しかし、dldに入ってストーブユーザーと触れてみると、「針葉樹なんて使えない」の思い込み、その拒否感の大きさは想像以上でした。
使ってさえもらえれば針葉樹薪の誤解は消えると信じていましたが、その「使う」の一歩にどうたどり着いたらいいのか‥。木平さんの目には、薪の物流を変えることがチャンス! と映りました。ユーザーにとって負担だった部分を大幅に減らせる分、「お届けする薪は針葉樹になります」という提案をすることにしたのです。 1年目は試験的に、OKをもらえたユーザー50軒で始めました。頭から拒否ではなく、でも「針葉樹薪?」とためらうユーザーには、「この薪で不具合があったら煙突そうじを無料サービス」として一押ししました。 結局継続しなかったのは、50軒のうち3〜5軒でした。その中にはシーズン途中で針葉樹はやはりいやだ、とやめられた方も含みます。
「50軒のうち、1〜2軒はいろいろな理由で継続しないのが平均なので、この軒数は少しも悪くなかった。これで十分針葉樹薪はいける、と思いました」という手応えで、2008年、針葉樹薪の自動宅配サービスが本格始動です。

■ 伊那から広がる、活気が生まれる
それから10年以上がたちました。万里の長城となるほどの薪を作る人たち、薪の配達・計測に行く人たちという新しい雇用が生まれました。薪材となる木は、大きな事業体からも購入しますが、人材不足が激しい林業を新しく始めた人たち、たとえば島崎山林塾企業組合、金井渓一郎(かないけいいちろう)さんなどと積極的につながって買っています。 2019年現在、薪の自動宅配サービスを利用しているユーザーは1700軒にのぼります。伊那市だけではありません。長野県・山梨県の2県は全域をカバーし、薪は各地域ごとに生産します。地域の森が動くことが狙いですから。
その他に宮城県と福島県は一部にサービスを提供しています。それぞれ地元のdldスタッフが関わっていますが、愛知の豊田市では、委託という形が始まりました。Iターンで地域に入った人たちが、間伐された材を薪にする、運ぶ仕事が副業となって地域に活気が出ているそうです。 「中心になる地域の人材がいて、木の駅(きのえき)プロジェクトで出る材を有効に生かしたいが売り先がない、という相談を受けたんですね」。 委託のケースは木平さんが年に数回現地を訪れて、薪の状態や保管のしかたを見ながらアドバイスをするサポート体制で動いています。

■ エネルギー自給から地域の自立を
順調に見える宅配サービスですが、年々住宅の新築件数が減る中、薪ストーブの需要は横ばいとなっています。木の購入から薪づくり、配達など地域に雇用を生んだ良い面は、経費の負担が大きい反面となるのも事実だと言います。今後はどうなるでしょう?
「ぼくは地域の自立はエネルギー自給が大事だと思っているんです。薪はカーボンニュートラル1という環境にやさしいエネルギーです。石油などの化石燃料を使うと二酸化炭素を出しますが、薪ならば二酸化炭素を増やすことにはなりません。さらに、地域の森林の間伐材を使えば森林を良くすることができます。薪ストーブの普及とともに、この地域にある資源でどれだけエネルギーを自給できるようにするか。これまで森林の経済性が悪いために環境、環境と言っていた面があると思うんです。それをちゃんと経済性が出るようにする中で、環境にとっての森林をどうしていくのかが考えられることが大事だと」。
好きなことと稼ぐことのバランスを求めてUターンして始めた木平さんの仕事は、結果的に好きなことと稼ぐことが重なる形でした。薪で森を動かしたいという思いは、地域のエネルギー自給という将来的な視野に広がっています。今の森の経済性をどう上げられるのか、その上で環境のバランスをどうとるのか? 「どうなの、それって?」とぶつかる疑問を攻略しながら前進してきた木平さんは、森の経済性と環境、そして地域とのより良い形をめざしています。

木は燃やしても新たな木がそれを吸収するとして大気中の二酸化炭素の増減に影響を与えないのでカーボンニュートラルと言われる。一方石油などの化石燃料はカーボンネガティブと言って燃やすと二酸化炭素を放出して大気中に増やすことになる。

以上

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